人の潜在能力を解放する

昔読んだ本の冒頭にこんなことが書いてあって、共感した思い出がある。

今日も自分探しをしていたんだけど、なんか冴えなくて最後にアクセルを踏んだのね。

真剣に本音でやりたい事思い起こしてた。俺が今まで喜びに震えて歓喜した瞬間ってなんだろう?自然と昔からやっちゃうことってなんだろう?

全てを捨てても、残したいものってなんだろう?

今、世界中を敵に回しても、ゆずれないものってなんだろう?

誰にも理解されなくても、それでもいいことってなんだろう?

いくつかキーワードが出てきた

「かっこいいこと」「ぶっとんでること」「唯脳論」「人の限界の超越」

この4つはすべて繋がるし、全部いっしょだ。

 

今日は、唯脳論と、今の自分の知恵をブレンドさせたものをシェアさせていただく

共感できる人1万人に一人ぐらいいるかな?

 

唯脳論とは、あなたが見たもの、聞いたもの、触ったもの、人さえも、あなたが作ったものということだ。あなたは今この文章を見ている。あるいは今お茶か何か飲んでいるだろうか。それが、あなたの脳の作り物だということだ。

 

できるだけシンプルに言おうと思う。

あなたの生活ってやつは、あなたの目、鼻、口、耳、舌、皮膚など五感からできている。

それ以上を使って生きている人はおそらく昆虫やイルカに近い能力を持っているのでテラフォーマーに出るべきだ。

でも、それらはすべて脳で処理されてはじめて「五感」として成り立っている。

もし脳がなかったらあなたの目はただの柔らかめの水晶だし、鼻はただの空洞のついた軟骨、舌に至ってはただのお肉だ。耳は少し音を拡張したりするが、あなたがそれを感じない世界では知らないところでメガホンがあるのと同じであなたに何の関係もない。

つまり、すべての感覚は脳の電気信号として処理され、それ以上はない。

極端すぎる例で、交通事故で足が折れても、空からクジラが降ってきても、結局は脳で感じた電気信号に変わりはない。

つまり、世界にそれ以上は存在しないのだ。

「??? 何を言ってる、普通にアメリカに人はいるし、そんなん周りの人も知ってる当たり前のことだろ。ってか普通にいるだろ!」

そのアメリカ人も、周りの人も、目とか耳を使って入ってきた電気信号でしかないから、あなたの脳の中では、肉じゃがとかとなんら変わりはない。信号は信号。

太陽光だろうと、原子力だろうと、エネルギーはエネルギー。

 

だから、「現実」も「仮想」も区別はなくて、ただのエネルギーが形を変えた状態っていうのがわかってきてる。

イメージもエネルギーだ。

ただ、それはペットボトルの炭酸みたいに、キャップに抑えられて形になることができない。形にしたかったら、キャップを抜いてシュワっとやるみたいに、エネルギーを形に変えるエネルギーの移動をエネルギーでおこなわなければならないんだと思う。